日時:2023年3月11日(土)13時~16時ごろ

開催方式:Zoomによるオンライン
【プログラム】

13時~14時45分:ワーク・イン・プログレス

 発表者:井出達郎(東北学院大学)

 テーマ:“Where did it begin?”: F. スコット・フィッツジェラルド『夜はやさし』における時間的な「傷つきやすさ」と単独性へのケア

15時~:総会

      総会議題

  1. 2023年度以降の役員体制について
  2. 『グレート・ギャツビー』出版100周年記念論集『ギャツビー100年』(仮タイトル)の出版について
  3. その他


【WiP発表概要】

 本発表はF. スコット・フィッツジェラルド『夜はやさし』から「始まり(beginning)」をめぐる問いを取り上げ、それを特にコロナ禍以降に注目を集めている「傷つきやすさ」と「ケア」という二つの視点に結びつけて考察する。自らの患者と結婚する精神科医ディック・ダイヴァーをめぐるこの小説は、早くから批評家によって「始まり」をめぐる問題が指摘されてきた。始まりを異にする二つの版が存在することに加え、多くのエピソードの連なりが明確な原因と結果の構造を欠いていると言われ続けている。その意味で、作中でディックが自分自身に問いかける「どういうきっかけで?(Where did it begin?)」という言葉は、この作品全体を特徴づける「始まり」の問いそのものの表現とも言える。この「始まり」をめぐる問いの明確な答えが最後まで提示されないことは、作品が時間において決定的な「傷つきやすさ(vulnerability)」を持っていることにほかならない。一方でこの時間的な傷つきやすさは、精神科医ディック・ダイヴァーの物語にとって、容易に欠陥とみなされうる。そもそも精神科医の役割とは、それぞれの患者の症状における「始まり」を探ることであるからだ。しかしその一方、この小説を何より特徴づけるのは、その時間的な傷つきやすさの別の様相が露呈されることにこそある。精神科医として始まりの探究に失敗することは、ディックとニコルにおける精神科医と患者としての関係の破綻を意味する。その結果ディックにとってニコルとは、患者としてではなく、その認識の枠組みに決して還元できない特異な存在、三浦玲一が本作品の論考で使用している表現を借りれば、ひとつの「単独性」として立ち現れてくる。始まりの問題から浮き彫りになるこの単独性は、哲学者ジャン=リュック・ナンシーの論考を補助線にすることで、ディックとニコルにおける「ケア」の問題、ひいては、フィッツジェラルドという作家における「ケア」の問題として発展しうる可能性を持っている。

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